EVENT NEWS
2026-04-02 00:00:00
沖縄 / 沖縄県立博物館・美術館
終戦80周年 美ら島芸術祈願展 「平和のうた」PHOTO GALLERY
https://seiransha.jp/photo/album/1301731
- 未来へ継ぐ 沖縄戦記 -
見わたすかぎりオーシャンブルーに染まった海と真夏の白雲立ち昇る青天の空。南海の楽園・沖縄は例年よりも格段に早く梅雨があけ、夏の到来を待ちに待った観光客らでにぎわう中、「終戦80周年 美ら島芸術祈願展 平和のうた」を開催させて頂きました。
2025年は日本にとって、また沖縄県民にとっても特別な年になります。太平洋戦争終結から80年、日本で唯一、住民を巻き込む激戦の舞台となった沖縄。そこはまさに血の戦場であり、今日の我々が見る映画や本といった造作物と違い、実際に多くの命が儚く散った場所でした。リゾート地としての現在の華やかな沖縄からは想像できない現実がそこにはあったのです。
沖縄戦が行われたのは、その地理的要因が大きく関わっています。南方から進軍してきた米軍の目的は、本土攻撃のための基地や兵站を確保すること。一方、日本側の意図は、敗戦濃厚の中にありながら、あくまで本土決戦のために米軍を引き止めて時間を稼ぐことでした。このように日米双方の戦略的思惑に巻き込まれる形で地上戦に至ることになってしまったのです。
この戦闘は1945年3月26日の慶良間諸島上陸より本格化しました。米軍は、1500隻近い艦船と約54万人の兵員というその圧倒的な物量と兵力で攻撃を行いました。空からの空襲、海からの艦砲射撃、陸の迫撃砲などの無差別な攻撃により、日本軍司令部が置かれた首里や撤退した南部をはじめ、島内の様々な場所が焦土となりました。日本側の被害者数は約19万人。
1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し日本は独立しましたが、沖縄だけは切り離され、72年の本土復帰まで米軍統治下におかれました。かつて日本が統治していたサイパンやテニアン、満州などでも地上戦はありましたが、ここまでの体験をしたのは沖縄だけです。今も多くの米軍基地が存在し、地中には未発見の遺骨と、幾つもの不発弾が埋まっています。人々を魅了する美しい島、沖縄にそうした悲しい歴史があることを我々は忘れてはいけません。
- 沖縄の自然、歴史、文化を映す複合文化施設 -
本展の会場となった沖縄県立博物館・美術館は、観光地として有名な国際通りからも近く、博物館と美術館が一つになった那覇市中心部にある県内最大の文化施設です。
琉球王朝時代の城(グスク)をイメージした雄大な施設デザインはグッドデザイン賞を受賞し、博物館では、沖縄の自然や歴史、文化を紐解き、琉球王国の誕生から滅亡、そして戦後の沖縄から未来までを学ぶことができ、美術館では沖縄の風土が育んだ絵画や彫刻、映像を含む数々の美術作品を展示しています。
本展では、琉球時代からの染織である紅型染めや、着物生地を使用した掛軸に文芸作品を写し、アートパネル、絵画や書道などの作品を展示しました。時折、南国特有のスコールが降りましたが、梅雨明けの本格的なサマーシーズンを待ちわびた観光客、地元の方々、インバウンドによる海外からの訪日客など、様々な方のご来場を頂きました。
本展を目的にご来場された方や、入口の看板から興味をもって見て頂けた方、お子様からご年配まで多くのご来場者からは、「終戦80年が100年、200年と続いていくよう体験者がいなくなっても記憶を受け継いでいかなくてはならない」、「人生の節々の思いが作品に表れていてとても見応えがあった」等、多くの賛辞と激励のお声を頂きました。
太平洋戦争最後の戦いが行われた沖縄戦は多くの爪痕を残しました。今も後遺症で苦しむ人や、遺族の元に帰れない遺骨、駐留米軍など、未解決の問題が数多くあります。国際社会は複雑に、密接に結びついていて、台湾有事が起きた際の日本に求められる対応など、世界状況は刻々と変化していきます。しかし、人の命を奪う戦争だけは二度と繰り返してはいけないことはまぎれもない事実です。生かされている我々に何ができるか、真の「戦後」とはいったい何を指すのか。今を生きる人々が向き合い、この機会に改めて命の尊さについて考えることが、記憶を未来につないでいく大切な一歩であると弊社は考えます。
最後に、今回の「終戦80周年 美ら島芸術祈願展 平和のうた」が無事に開催出来ましたことは、ご参加頂いた方々のご助力あってのものということはいうまでもございません。心より御礼申し上げますとともに皆様方のこれからのご健康、ご発展をお祈りしております。誠にありがとうございました。
2026-04-01 00:00:00
広島 / 広島平和記念公園
終戦80周年 広島芸術文化展 「祈りの和」PHOTO GALLERY
https://seiransha.jp/photo/album/1301722
- NO MORE HIROSHIMA 世界初の被爆地の80年 -
新年を迎え、寒波の影響で例年にも増して寒さ厳しい初春の月中、めでたく成人の日を迎えた若者たちで街が活気づく広島市・平和記念公園内国際会議場において、「終戦80周年 広島芸術文化展 祈りの和」を開催させて頂きました。
太平洋戦争末期、敗戦濃厚の日本はそれでも徹底抗戦のかまえをみせ、多くの若年兵士と一般市民の命が散っていきました。そして世界で初めての原爆が広島に投下され、一瞬にして何万人もの命と街が破壊されました。80年を経た今でも、広島市は人類が忘れてはいけない悲劇と負の記憶を抱えています。
昨年の2024年は、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の長年の活動実績が国際的にも認められ、ノーベル平和賞を受賞するというニュースがありました。日本被団協は、戦後の病苦と差別に苦しんでいた被爆者達が、1954年のビキニ水爆実験による第五福竜丸の被災をきっかけに高まった原水爆禁止運動を契機とし、「核兵器廃絶」と「原爆被害への国家補償」の2つを根幹として結成されました。国連本部での原爆展や、核兵器の禁止・廃絶を求める国際署名運動を経ての核兵器禁止条約の制定等の粘り強い活動を続け、今も被爆者たちの平和希求への声を世界に発信し続けています。こういった約70年もの活動がノーベル平和賞という形で世界的にも広く日の目を見たことは誠に喜ばしいことであると同時に、核戦争が始まるのではないかという懸念がされる昨今、この受賞は国際平和的観点から見ても大変大きな意義を持ちます。
月日が経ち、原爆被害者の平均年齢は85歳となりました。将来的には直接の被爆証言を聞くことができなくなってしまいます。被爆者世代が高齢になる中、現代社会は被爆体験の語り部の世代交代という新たな過渡期に入っているといえます。被爆者達の思い、言葉を正しく受け継ぎ、正確に伝えていくために今一度、体験世代の方々の声を聞き、次世代に記憶と教訓を継承していくことが大切です。
- 慰霊の地から羽ばたく折鶴の祈り -
広島平和記念公園は、戦後に制定された「広島平和記念都市建設法」に基づき、爆心地周辺を平和の象徴とするため、原爆死没者の慰霊と世界恒久平和を祈念して開設された都市公園です。建築家の故丹下健三氏を中心としたチームで設計され、記念館、広場、慰霊碑、原爆ドームを1本の直線で結ぶ配置でデザインされ、原爆の子の像、原爆供養塔等の慰霊碑が点在しています。毎年8月6日には平和式典で黙祷や献花が行われ、平和の尊さを学ぶ場として多くの方が訪れています。今回は平和祈念資料館と併設した国際会議場にて「終戦80周年 広島芸術文化展 祈りの和」を開催させて頂きました。
伝統工芸の江戸からかみと、被爆地に届けられる折鶴の再生和紙を融合させ、そこに文芸作品を書きつけた額や、作品の世界観をデザインした詩のアートパネル、迫力ある絵画や書道、立体作品等の美術作品を展示しました。会期中は観光客や、地元の方、お子様に至るまで、老若男女様々な方にご鑑賞頂けました。訪れた実際の被爆者や観光客の方からは「私達の体験を伝えていく行事として大変嬉しかった」、「被団協のノーベル平和賞に続きこういった取り組みを広げていって欲しい」等、多くの激励の言葉を頂戴致しました。
終戦80年の節目を迎え、今や戦後生まれの人口が9割以上、年月を重ねる中で戦争体験を直接聞く場は減少しています。しかし、ウクライナ侵攻やパレスチナ問題、台湾危機等、戦後生まれ世代でも戦争に関わる記憶はあります。出来事だけの知識ではなく、なぜ戦争は起き、始まるとなにが起こり、起こさないためにはどうすればよいか、それを考え話し合っていくことが重要です。
今、世界には広島原爆以上に強力な核弾頭が約12000発存在し、約4000発が即座に発射可能に配備されています。人類は自らの手で地球を滅ぼす力を手に入れてしまいました。日本被団協代表は受賞演説で「人類が核兵器で自滅することのないよう核無き世界を実現するため、世界中の皆さんで共に話し合い、核政策を変えさせる力になることを願います」と訴えかけました。尊い命を守るため、核無き世界を目指すために弊社の催しが少しでもその力になれることを信じます。
最後に、本展覧会が開催できましたのは、ご参加頂いた作者の方々のお力添えあってのものということはいうまでもございません。心から感謝致しますとともに皆様方のご発展とご健康をお祈りしております。誠にありがとうございました。