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伊勢文芸祈念祭 季ノ奏

 

20181214日(金)− 17日(月)

 

最高神に捧げる和の言霊

 

ひんやりとした師走の静謐な空気の中、我が国における最高神が鎮座する伊勢の国において、「伊勢文芸祈念祭-季の奏-」が開催されました。

 

伊勢神宮は、太陽を神格化した天照大神、衣食住の守り神である豊受大御神を、それぞれ内宮、外宮に祀り、合計125もの社宮を神宮と総称する日本最高峰の神社です。

 

本展示会が行われた期間中には、伊勢神宮の最も重要な祭り「三節祭」の一つ「月次祭(つきなみさい)」が行われ、神宮祭主の黒田清子さんも祭典を奉仕されました。

 

月次祭は、外宮で1215日の22時、「由貴夕大御饌」と16日の午前2時、「由貴朝大御饌」の2回、伊勢エビ、アワビ、タイなど約30品目の神饌(しんせん)を奉納し、1612時に皇室より送られた幣帛(へいはく)を奉納する「奉幣」が執り行われ、内宮でも同様に16日の22時と17日の2時の2回の「由貴大御饌祭」、1712時「奉幣」が繰り返されます。同25日までの期間に伊勢神宮125社で同様の祭典が行われ、神恩に感謝し、五穀豊穣、国家繁栄、国民の幸福、世界平和への祈りを続けています。

 

この月次祭を目的に、平成最後の伊勢参りに訪れた全国からの参拝客が溢れ、また、外宮、内宮に点在するパワースポットに訪れる人々も多く、参道沿いに位置する外宮参道ギャラリーも多くの人で賑わいました。

 

伊勢神宮には内宮2000年、外宮1500年の悠久の歴史があります。今回、平成最後の月次祭と同時期に「伊勢文芸祈念祭-季の奏-」が開催できたことはとても喜ばしく、和の言霊の魅力があらためて若い世代の方々の心に伝わったことと感じます。

 

2019年には平成も30年間の時代に終わりを告げ、新たな時代を迎えますが、真に意味のある言葉は時代を超えても永久不変であることを証明した展示会でもありました。これはひとえに素晴らしい作品を創造された皆様のご経験とお力の賜物であり、心から御礼申し上げます。

 

今後とも、更なるお力添えを賜りますことをお願いするとともに、皆様のご発展、ご健康をお祈り申し上げます。

 

日本ハワイ友好祈念奉納 虹の芸術祭

 

2018年6月9日(土)– 11日(月)

 雲の晴れ間に架かる七色の虹に照らされ、つきぬけるような青空と、コバルトブルーに輝く海が広がるハワイ州、オアフ島。  

 

 日本とハワイの間の歴史は古く、今年が日本ハワイ移民150周年ということを記念してのホノルルフェスティバルやシンポジウムの開催、秋篠宮ご夫妻のハワイご訪問等、様々な催しが行われる中、ハワイ開教約100年を迎えるパロロ本願寺において、「日本ハワイ友好祈念 虹の芸術祭」が開催されました。  

 

 日本とハワイの交流は1860年、国王カメハメハ四世が日本とハワイ王国の間の友好条約を立案し、ジョン万次郎、福沢諭吉らの遺米使節団を乗せた「成臨丸」がホノルルを訪問、国王が労働者供給要請を請願し、明治政府が誕生した1868年にハワイ王国との友好関係を樹立し、多くの日本人が移民としてハワイの地に渡りました。  

 

 多くの日本人がパイナップルやさとうきび畑等の大農園を築くために荒れ地を耕し、その後ハワイに定住し、彼ら日本人移民とその子、孫たちの努力により、ハワイ社会の基礎は作り上げられました。  

 

 その後、第二次世界大戦が勃発し、ハワイの日系人たちは強制収容を余儀なくされる危険がありましたが、ハワイの経済にかかわる日系アメリカ人の割合も多く、ハワイにとって日系人は欠かすことのできない存在となっていたため、多くの人が弾圧をまぬがれたのです。  

 

 その象徴として、日系二世のダニエル井上氏は、第二次大戦で右手を失いながらも名誉勲章を受け、日系人初の上下両院議員となり、上院仮議長まで務め上げました。  

その功績を讃えられ、2013年、ハワイのホノルル空港の正式名称が「ダニエル・K・イノウエ空港」と改名されました。  

 

 海外の国際空港に日本人の名が付くことは前例もなく、それほどに日本とハワイの繋がり、友好関係は強いものとなっているのです。  

 

 ホノルルの中心地、ワイキキを少し抜け郊外に出ると、今回の会場となったパロロ本願寺が見えてきます。  本堂は約300人を収容する広さで正面には金色に輝く阿弥陀像が祭壇に配置され、異国の地で、仏の教えが根付いている事を実感します。  

 

 開催三日間は、様々な文様を色鮮やかに染色し、織り上げた西陣織、京友禅の高級生地と詩歌作品を写した百数十点の着物パネルが本堂に並び、お寺の入り口正面には、詩歌作品を職人が彫り込み、文字部分の色付けには、純金を流し込んで作品を刻んだ石碑が配置されました。  

 

 まぶしく光る太陽に照らされてキラキラと輝き、観光で立ち寄られた方、パロロ本願寺の関係者や、移民の子孫である日系人の方々等、来場した多くの方々に注目と関心を持ってご覧になって頂きました。 そして、今回は海外の方にも日本独自の詩歌作品の内容が伝わるよう、作品の釈文の英訳も同時に展示しました。  

 

 来場者の方からは「日本の人達の気持ちに触れることができてとてもいい時間でした。」、「素敵な言葉の芸術をハワイの地に届けてくださり、ありがとうございました。」、「Thank you for sharing your heart with us. We hope to continue our strong relationship with Japan. Mahalo(あなた達の心を私たちに届けてくれてありがとう。日本との強い繋がりがずっと続くことを願っています。ありがとう!)」といった感想を頂き、意味のある言葉は言語の壁を越え、魂が伝わることを感じさせていただきました。  

 

 又、会期中は浅草で有名な日本料理の「駒形どぜう」の六代目のご主人がお越しになり、来場者の方々にその場で美味しい手打ちそばをふるまわれたり、東日本大震災の復興チャリティーイベントも同時開催されるなど、より意義のあるイベントになりました。

 

 ハワイにおける開教の始まりはカメハメハ王朝の時代にまで遡ります。1886(明治18)年に日布渡航条約が締結され日本からの移民が開始されました。  

 

 その後、本願寺から正式に開教使が派遣されたのは1897(明治30)年の事であり、1899(明治32)年にはハワイで最初の本堂である、ハワイ本願寺(後のホノルル別院)の本堂が落成し、寺院としての活動が本格的に開始されることとなりました。  

 

 当初、オアフ島各地での伝道活動を開始したものの、過酷な生活環境の中、その話に耳を傾ける者はごくわずかでした。耕地主が命じても動じない労働者に対し、本願寺の僧侶が働くことの責任を説き、問題が次第に解決していくことになり、これを知った耕地主が本願寺に理解を示し、こうしてハワイ各島の砂糖耕地に本願寺が建てられました。  

 

 本展の舞台となったパロロ本願寺は1920年にハワイへ到着した森天鸞師によって、モイリイリ地区に設立され、のちにワイアラエ通りへ、さらに現在のパロロ通りに移され、仏の教えを現在に伝えています。

 

 今回の「日本ハワイ友好祈念 虹の芸術祭」におきましては、素晴らしい作品が異国の地で、多くの方々の目にとまり、心に届いたことを非常に嬉しく思います。  

 

 ご来場頂いた日系三世、四世の方々にお話を伺うと、母国とは何なのか、生まれ育った土地とは何なのか、また平和とは何か、ハワイの日系移民の歴史を含め、色々な事を考えさせられました。  

 

 「元年者」と呼ばれた最初の移民の人々が荒波を乗り越え、ハワイの地に渡ってから150年。日本の心、伝えたいメッセージが時と海を越えて日系移民や、海外の方々に伝わった今回の展示は、まさに色とりどりの言葉による虹の架け橋となったことでしょう。  

 

 結びに、本展が沢山の方々にご来場頂き、お喜び頂く事ができましたのは、優れた作品を生み出された皆様のご経験、お力の賜物であり、改めまして厚く御礼申し上げます。  今後とも、更なるお力添えを賜りますことをお願いするとともに、皆様方のご発展、ご健康を心よりお祈り申し上げます。

藍染 心の言葉巡り in 浅草   

 

2017年12月22日(金)− 24日(日)

 

 国内外から訪れる観光客で連日賑わう東京の下町、浅草。おなじみ浅草寺・雷門、食べ歩きが楽しい仲見世通り、レトロな遊園地花屋敷など古くから人気の観光地から、EKIMISEやまるごと日本などの新しいスポットまで、古さを大切にしながらもどんどん進化を続けています。

 

 そんな当地を舞台に、2017年12月22日から24日までの3日間、浅草公会堂にて、【藍染 心の言葉巡り2017 in 浅草】が開催されました。本展では日本古来の伝統工芸である藍染に全国各地の現代俳人・歌人が創作した詩歌作品を施し、展示されました。

 

 会期中は詩歌を嗜む方々が訪れたほか、会場で初めて本格的な詩歌に触れたという学生達や、2階のホールにて行われていた日本舞踊の帰りにお越しいただいたご夫婦、浅草公会堂の目の前に面したオレンジ通りで開催されていたフェスティバル等、本展の他にもイベントが開催されている場所柄、ふらりと立ち寄っていただいた方々も数多く見受けられ、老若男女問わず様々な方に足を運んでいただきました。沢山の方々が作品と対話するかのごとくじっくりと鑑賞する姿が多く見受けられました。

 

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