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2020/12/18 00:00

奈良県文化会館

奈良県文化会館

大和ノ国芸術祈願祭 安寧の祈り

2020年 12月18日 - 20日

 

- 奈良 -

- すべての人を救う廬舎那大仏、永久の想い -

 青天の気候に恵まれ、焔に彩られた紅葉もその多くがまだ残る中、古都奈良において、激動の年であった2020年の締め括りとなる「東大寺大仏殿復興830年記念 大和ノ国芸術祈願祭」を執り行わせて頂きました。

 

 東大寺が創建されるきっかけは、728年に聖武天皇の最愛の皇太子が幼くして逝去され、また、地震や飢饉、そして天平の大疫病といわれる天然痘の大流行により、社会的な不安が国民を襲い、その数々の疫病や災難を仏教に帰依することで国家を守る鎮護国家という考えから国分寺として建立されました。大仏殿に鎮座する本尊の巨大な廬舎那仏は華厳経の教主であり、その名は、宇宙の真理を体得された釈迦如来の別名で、世界を照らす仏・ひかり輝く仏という意味です。左手は宇宙の智慧を、右手に慈悲をあらわし、人々が思いやりの心で繋がり、絆を深めることを願っておられます。

 

 華厳経の経典の教えには、動植物も含めたすべての生きとし生けるものの繁栄を願い、人々の苦しみを救済しようとする菩薩の行いを実践し、互いの思いやりの心をつなげていく、という文言があります。様々な困難に見舞われた聖武天皇は、人々が思いやりの心で繋がり、子供たちの命が次世代に輝くことを真剣に考え、動植物も共に栄えることを願いました。   さらに造像にあたっては、「一枝の草、ひとにぎりの土」の助援を呼びかけ、国民に結縁を求め、助力によって完成しようとした点に、従来の官大寺建立とは明らかに異なるものがありました。 

 

 本来であれば56年ぶりのオリンピックが日本で開催され、日本人選手の明るい話題で盛り上がったであろう2020年が『失われた一年』とも呼ばれ、長期の自粛や巣ごもりで人々の心が疲弊し、テレビからは訃報や悲しいニュースの多い年となってしまいました。本展では東大寺の成り立ちの由来や節目に際して、今も猛威を振るう新型コロナウィルスの早期収束の想いを神仏に届けるとともに、疫病の影響により仕事や健康、生活に悪影響を受けてしまったすべての人々に芸術の素晴らしさによって少しでも心の癒し、豊かさを取り戻して頂ければと願い、開催させて頂きました.

 

- 日本芸術、至高の言葉とアーティスト達の共演 -

 会場は世界遺産である東大寺や春日大社、興福寺からほど近く、目の前には奈良公園があり、奈良の名物である鹿が多くいます。「奈良の鹿」は国の天然記念物に指定されている野生動物であり、所有者はいません。767年(天平神護3年)に春日神社が創建され、その由来で主神の建御雷命(たけみかづちのみこと)が鹿島神宮から遷る際に白鹿に乗ってきたとされ、神の使いとして神鹿(しんろく)と尊ばれるようになったという説があります。

 

 神鹿は会場建物の目の前にまで現れ、乾いた空気に白息がまじる師走の空気の中、地元の芸術愛好家や、大学の学生さん等、多様な方々がご来場頂き、日本人が生み出す唯一無二のアート、工芸と言葉との融合を楽しんで頂けました。繊細な手作業や柔軟な思考から生み出された生きた作品たちをご覧になり、評判を聞いて翌日来場頂いた方など、作者の作品に込めた思いがこれ以上なく人の心に広がっていったことを確信しています。

 

 2020年はまさに歴史を揺るがす年であり、あらゆる意味で忘れることのできない一年になりました。しかし、どんな厄災や困難がふりかかろうとも、1300年前に聖武天皇が国民に団結を呼びかけ、思いやりの心をつなげていくことを願ったように、人の想いこそが永遠であり、不滅であると感じます。東大寺や薬師寺といった仏閣も早期の疫病収束祈願を続けており、弊社としても祈願をさせて頂き、今回の展示を通じて医療従事者の方々に少しでも支援がとどくよう、赤十字に寄付をさせて頂きました。ご協力頂いた作者の方々には本当に厚く御礼申し上げます。

 

 本展の成功はいうまでもなくご協力頂いた作者の方々のお力添えの賜物であり、誠にありがとうございました。あらためて今後も皆様方の益々のご発展とご健康を心よりお祈り申し上げます。

2019/11/22 00:00

太宰府館

太宰府館

令和元年祈念太宰府文芸祭 万葉ノ彩

2019年11月22日  -  24日

 

- 太宰府 -

- 万葉の詩が聞こえる -

 青く透き通った秋晴れの空の下、朱や橙色に紅葉した樹々に染まる霜月の太宰府。約30年振りに改元された新元号由来のこの地において、「令和元年記念 太宰府文芸祭 万葉ノ彩」が執り行われました。

 

 新元号「令和」は「大化」から数えて248番目にあたり、およそ200年ぶりの生前退位による改元であること、初の日本古典からの典拠となったことでも話題になりました。この言葉は奈良時代の天平2(730)年、ときの太宰府長官、大伴旅人が高官らを自邸に招いて開いた「梅花の宴」の序文からとられています。

 

 大伴旅人は飛鳥時代から奈良時代にかけて活躍した貴族、武将、歌人であり太政官における臣下最高位の大納言まで昇進、728年には太宰府長官として赴任し、歌人である山上憶良らとも交流を深めました。万葉集編纂に関わり、「三十六歌仙」や「小倉百人一首」にも載っている和歌の名手、大伴家持は旅人の息子であり、旅人の歌も78首が万葉集に選出されましたが、その多くが太宰府任官後に詠まれたものになっています。「梅花の宴」で大伴旅人が詠んだ歌を一首、紹介します。

 

- 我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも -

 

 宴が催されたのは「正月13日」。現在の暦で2月初旬にあたります。満ち足りた正月の祝宴なのに季節外れの「落梅」が詠まれ、はかなさが漂っていてある種の不思議な気持ちになります。旅人は山上憶良とともに「筑紫花壇」という集まりを作り、様々な歌を万葉集に残しました。

 

- 令和初の言葉の祭典 -

 太宰府といえば太宰府天満宮に祀られる天神様が有名ですが、この地に降り立つと菅原道真が生まれるより前、1200年以上前の日本人が、身分の上下に関わらずいかに四季を愛し、友人や家族を思い、日々を過ごしたのかを感じることができました。

 

 本展の開催時期はちょうど紅葉の時期や、太宰府天満宮での秋の菊花展が重なり、「令和」の由来となった地を訪れたかったという観光客や参拝客で参道は溢れかえり、軒を連ねる名物「梅ヶ枝餅」の店先には連日行列ができ、例年以上のにぎわいをみせておりました。会場にもたくさんの観光客や地元結社の方々、また、七五三で訪れた袴姿のお子さん連れのご家族にも多くご来場頂き、普段目にすることのない有田焼と文芸の融合を興味深く、丁寧にご覧になっているのが印象的でした。訪れた方々には会場で本展の感想文を書いて頂き、「新元号生まれの地でこんな素敵な詩歌に出会い、感動した(50代女性)」、「修学旅行で初めて訪れた太宰府で教科書では見られないような作品に出会い、日本文芸に興味が湧いた。(10代男子)」、「みなそれぞれ辿ってきた想い、歴史の深さが表れていて心が洗われた(40代男性)」等のお言葉を頂き、この展覧会を見て初めて日本文化に興味をもったという若年層も多く見受けられました。

 

 今回は皆様の作品を、日本を代表する磁器である有田焼にそれぞれ写し、紅葉をイメージした暖色系の布和紙を皿立ての下に配し一枚一枚立てかけ、会場の中央には大鉢に季節の花を生け、柔らかで和かな空間を作り上げました。来場者や地元結社の方などからは「このような形で日本の詩歌作品を目にしたことはない、新鮮で驚きだ。(40代会社員)」、「全国区の作品のレベルの高さを知れて刺激になった(70代女性)」というような様々なお声を頂き、実に充実した文芸展になったことと思います。 私たち自身や家族、友人が新たに生きる時代、令和。「令」という漢字には「美しい」、「めでたい」といった意味が込められており、そのため「令和」という元号を英訳すると「ビューティフルハーモニー」となります。今回の「令和元年記念 太宰府文芸祭 万葉ノ彩」も皆様方の想いのこもったコトダマの数々がまさに美しいハーモニーを奏で、日本を代表する伝統工芸の有田焼と調和し、訪れた多くの方の心に深く刻まれたことでしょう。

 

 結びに、一度しかない新元号の元年にその所縁の地でこのような素晴らしい展覧会が開催できましたのは、皆様方のお力添えと辿ってこられた人生のご経験が集約した作品の賜物であり、厚く御礼申し上げます。

 

 今後の皆様方のご健康を願うとともに、益々のご発展を心よりお祈り申し上げます。

 

2019/06/07 00:00

THE Nippon Club Gallery

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日米文化友好祈念芸術祭 和ノ風                                 

2019年 6月7日 -  11日

 

-  New York  -

-  決して眠らない街 New York -

 新緑の香りが漂う初夏の6月、からりと晴れた青空の下、気持ち良い日差しがいくつもの高層ビル群に差し込み、多種多様な人種の人々が行き交う街ニューヨーク。

 

 リバティ島の自由の女神像や、第二次大戦終結後の1946年に設置された国連本部、記憶に新しい9.11の同時多発テロの跡地であるグランドゼロ等、訪れるべき場所が多々あるニューヨークの中心部、数々の名演が行われた音楽の殿堂であるカーネギーホールの向かいに立つ「The Nippon Club」 (以下 日本クラブ)において、「日米文化友好祈念芸術祭 和ノ風 in NEW YORK」が初めて開催されました。

 

 日本クラブは1905年に創設され、初代会長にはアドレナリンやタカジアスターゼ等、世界な発見をした科学者、高峰譲吉博士が就任。以来日米の交流と在ニューヨーク日本企業人との親睦を図ってきました。又、日本文化を広めるための趣味、教養のためのカルチャー講座、セミナーや講演会、コンサートも行われ、多くの外国人の方も訪れる場所でもあります。本展のために様々な宣伝をして頂き、1,100人を超える会員への開催告知、ニューヨーク市で発行されている日系新聞やメディアへの掲載、さらには、在ニューヨーク日本国総領事館のホームページにも載せて頂き、開催当日には本当に多くの方々にご来場頂くことができました。

 

 今回は、日本の伝統文化を紹介するため、金箔銀箔を張り合わせた箔押屏風、オリジナルのデザインを施した京和傘、京友禅等の高級反物を使用した着物掛軸の三種類の伝統工芸品にそれぞれ文字を写し飾るだけでなく、外国の方にも作者の想いや意味が伝わるよう、作品の釈文の英訳とともに展示し、遠く離れたニューヨークの街の中に和の空間、和の風を届けるという趣旨のもとで展示させて頂きました。

 

- 世界の中心に芽吹く和の心 -

 会期中には多くの外国人、日本クラブ会員の大手企業の重役の方々、日系移民、又、ニューヨークで活躍する有名デザイナーや留学生等、沢山の来場者に作品をご覧頂き、「亡き母が俳句をしており、この年代になってニューヨークで俳句を始めました。海外で日本文化の素晴らしさに目覚めて心から誇りに思います」(70代女性)、「見えない所までのこだわり、力を感じました。日本の伝統を継続して下さい、ニューヨークから応援しています。」(40代女性)、「A great show, it shows the beauty and history of japan arts. loved all the saying. very moving. it shows soul of Japanese language.(素晴らしい展示会です、日本芸術の美と歴史が表れています。全てがとても素敵で心動かされました。まさに日本の言葉の魂が表現されています。)」(50代男性)といった感想を頂きました。

 

 日本国内での開催時以上に、作品を一点一点真剣に時間をかけて読む方が多く、1時間以上かけてじっくりと鑑賞する方や積極的に質問される方等、ニューヨークにおける芸術、文化に対する関心度の高さを非常に強く感じる催しとなりました。

 

火の山の 裾に夏帽 振る別れ  高浜虚子

籐椅子に 深く座れば 見ゆるもの  星野高士

 

 本展では日本俳句界の巨星であった高浜虚子の俳句と、その曾孫であり、「NHK俳句」の選者でもあった星野高士氏より寄せられた俳句と解説を特別展示しました。星野高士氏は現在、国際俳句交流会理事であり、俳句ユネスコ無形文化遺産登録推奨協議会理事も務めており、日本文化の世界的普及の趣旨にご賛同頂き、ご協力頂けることとなりました。虚子の句は、本展のために星野氏が数多くの作品から選んだものを展示致しました。

 

 今回の「日米文化友好祈念芸術祭 和ノ風 in NEW YORK」におきましては創造力、独創力に溢れ、個性豊かな美しい日本の言霊の数々が、人種や国境の壁を越えて多くの方の心に響いたことを実感しました。それはまさに本展が、1912年に日本からニューヨーク、ワシントンに6,000本の桜が送られて以来の日米友好の証しとなったといっても過言ではないでしょう。

 

 結びに、沢山の方が本展に足を運んで頂き、大成功を収めることができましたのは、ひとえに素晴らしい作品を生み出された皆様のお力の賜物であり、改めて厚く御礼申し上げます。

 

 今後とも更なるお力添えを賜りますことをお願いするとともに、皆様方のご発展、ご健康を心よりお祈り申し上げます。

2018/12/14 00:00

外宮参道 Gallery

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伊勢文芸祈念祭 季ノ奏     

2018年 12月14日 - 17日

 

-  伊勢  -

-  最高神に捧げる和の言霊  - 

 ひんやりとした師走の静謐な空気の中、我が国における最高神が鎮座する伊勢の国において、「伊勢文芸祈念祭-季の奏-」が開催されました。

 

 伊勢神宮は、太陽を神格化した天照大神、衣食住の守り神である豊受大御神を、それぞれ内宮、外宮に祀り、合計125もの社宮を神宮と総称する日本最高峰の神社です。

 

 本展示会が行われた期間中には、伊勢神宮の最も重要な祭り「三節祭」の一つ「月次祭(つきなみさい)」が行われ、神宮祭主の黒田清子さんも祭典を奉仕されました。

 

 月次祭は、外宮で12月15日の22時、「由貴夕大御饌」と16日の午前2時、「由貴朝大御饌」の2回、伊勢エビ、アワビ、タイなど約30品目の神饌(しんせん)を奉納し、16日12時に皇室より送られた幣帛(へいはく)を奉納する「奉幣」が執り行われ、内宮でも同様に16日の22時と17日の2時の2回の「由貴大御饌祭」、17日12時「奉幣」が繰り返されます。同25日までの期間に伊勢神宮125社で同様の祭典が行われ、神恩に感謝し、五穀豊穣、国家繁栄、国民の幸福、世界平和への祈りを続けています。

 

 この月次祭を目的に、平成最後の伊勢参りに訪れた全国からの参拝客が溢れ、また、外宮、内宮に点在するパワースポットに訪れる人々も多く、参道沿いに位置する外宮参道ギャラリーも多くの人で賑わいました。

 

 外宮参道ギャラリー内を囲む白壁には、様々な紋様と言葉を彫り込んだ文芸伊勢型紙がずらりと飾られ、中央には華道家が伊勢神宮をイメージした、緑、白、エンジの花々が大鉢に活けられ会場を彩りました。そしてそこを訪れた観光客や若い学生たちに日本の古来からの言葉の大切さや、歴史の語り部である作者の方々が作品にこめた想いを伝統工芸の美しさとともに感じさせていました。

 

 伊勢型紙の地紙には職人には職人の高度な彫刻技術を表現するために、強く伸縮しない和紙が欠かせません。このため、数枚の美濃和紙を柿渋でベニヤ状に張り合わせ、さらに燻製、乾燥をほどこし、半年以上寝かせてようやく完成させたものを使用します。

 

 この地紙に職人が熟練の技法と、数種の彫刻刀を使い、紋様と文字を刻んでいきます。機械を使わず、全て手彫りのため完成までに時間を要しますが、それゆえに手彫りならではの温かみが作者の方々のたどってきた歴史を写した文芸作品と融合し、新たな言葉の伝統工芸へと昇華され、訪れた観光客からの高い注目、関心を集めました。

 

 また、会場前の参道沿いではボランティアの小学生たちが参拝客へ伊勢茶を無料でふるまったり、伊勢神宮クイズを開催していたりと、様々な盛り上がりをみせていました。

 

-  見えないものを信じることのできる日本の心 -

-  なにことのおはしますをばしらねどもかたじけなさになみだこぼるる  - 

 

 鎌倉時代に作られた『新古今和歌集』には西行の歌が94首入っており、個人の歌としては一番多く取り上げられています。

 

多くの優れた歌を残したこの西行が、伊勢に関する歌を数多く詠み、晩年を伊勢の地で過ごしたことはご存知でしょうか。

 

 この歌は、西行が『伊勢神宮』に参拝された時の歌です。伊勢神宮の神さびた神秘の社の雰囲気に深く感動し、かつ驚き静寂の中に凛とした目には見えないもの、耳にも聞こえない不思議な力に深く胸を打たれた。その時の気持ちを詠んだと言われています。

 

 西行が、京都御所の『北面の武士』を退き出家して吉野の奥の西行庵に身を潜めひっそり住んで3年後に西行は旅に出ました。神道の神の気配を感じとって涙したという歌です。心ある日本人ならだれもが共感するのではないかと思います。

 

 伊勢神宮には内宮2000年、外宮1500年の悠久の歴史があります。今回、平成最後の月次祭と同時期に「伊勢文芸祈念祭-季の奏-」が開催できたことはとても喜ばしく、和の言霊の魅力があらためて若い世代の方々の心に伝わったことと感じます。

 

 2019年には平成も30年間の時代に終わりを告げ、新たな時代を迎えますが、真に意味のある言葉は時代を超えても永久不変であることを証明した展示会でもありました。これはひとえに素晴らしい作品を創造された皆様のご経験とお力の賜物であり、心から御礼申し上げます。

 

 今後とも、更なるお力添えを賜りますことをお願いするとともに、皆様のご発展、ご健康をお祈り申し上げます。

 

 

2018/06/09 00:00

パロロ本願寺

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日本ハワイ友好祈念奉納 虹の芸術祭     

2018年 6月9日 - 11日

 

- Hawaii -

-  ハワイに咲いた百花繚乱の言葉たち -

 雲の晴れ間に架かる七色の虹に照らされ、つきぬけるような青空と、コバルトブルーに輝く海が広がるハワイ州、オアフ島。  

 

 日本とハワイの間の歴史は古く、今年が日本ハワイ移民150周年ということを記念してのホノルルフェスティバルやシンポジウムの開催、秋篠宮ご夫妻のハワイご訪問等、様々な催しが行われる中、ハワイ開教約100年を迎えるパロロ本願寺において、「日本ハワイ友好祈念 虹の芸術祭」が開催されました。  

 

 日本とハワイの交流は1860年、国王カメハメハ四世が日本とハワイ王国の間の友好条約を立案し、ジョン万次郎、福沢諭吉らの遺米使節団を乗せた「成臨丸」がホノルルを訪問、国王が労働者供給要請を請願し、明治政府が誕生した1868年にハワイ王国との友好関係を樹立し、多くの日本人が移民としてハワイの地に渡りました。多くの日本人がパイナップルやさとうきび畑等の大農園を築くために荒れ地を耕し、その後ハワイに定住し、彼ら日本人移民とその子、孫たちの努力により、ハワイ社会の基礎は作り上げられました。  

 

 その後、第二次世界大戦が勃発し、ハワイの日系人たちは強制収容を余儀なくされる危険がありましたが、ハワイの経済にかかわる日系アメリカ人の割合も多く、ハワイにとって日系人は欠かすことのできない存在となっていたため、多くの人が弾圧をまぬがれたのです。  

 

 その象徴として、日系二世のダニエル井上氏は、第二次大戦で右手を失いながらも名誉勲章を受け、日系人初の上下両院議員となり、上院仮議長まで務め上げました。

 

 その功績を讃えられ、2013年、ハワイのホノルル空港の正式名称が「ダニエル・K・イノウエ空港」と改名されました。

 

 海外の国際空港に日本人の名が付くことは前例もなく、それほどに日本とハワイの繋がり、友好関係は強いものとなっているのです。  

 

 ホノルルの中心地、ワイキキを少し抜け郊外に出ると、今回の会場となったパロロ本願寺が見えてきます。

 

 本堂は約300人を収容する広さで正面には金色に輝く阿弥陀像が祭壇に配置され、異国の地で、仏の教えが根付いている事を実感します。  

 

 開催三日間は、様々な文様を色鮮やかに染色し、織り上げた西陣織、京友禅の高級生地と詩歌作品を写した百数十点の着物パネルが本堂に並び、お寺の入り口正面には、詩歌作品を職人が彫り込み、文字部分の色付けには、純金を流し込んで作品を刻んだ石碑が配置されました。  

 

 まぶしく光る太陽に照らされてキラキラと輝き、観光で立ち寄られた方、パロロ本願寺の関係者や、移民の子孫である日系人の方々等、来場した多くの方々に注目と関心を持ってご覧になって頂きました。 そして、今回は海外の方にも日本独自の詩歌作品の内容が伝わるよう、作品の釈文の英訳も同時に展示しました。  

 

 来場者の方からは「日本の人達の気持ちに触れることができてとてもいい時間でした。」、「素敵な言葉の芸術をハワイの地に届けてくださり、ありがとうございました。」、「Thank you for sharing your heart with us. We hope to continue our strong relationship with Japan. Mahalo!(あなた達の心を私たちに届けてくれてありがとう。日本との強い繋がりがずっと続くことを願っています。)」といった感想を頂き、意味のある言葉は言語の壁を越え、魂が伝わることを感じさせていただきました。

 

 又、会期中は浅草で有名な日本料理の「駒形どぜう」の六代目のご主人がお越しになり、来場者の方々にその場で美味しい手打ちそばをふるまわれたり、東日本大震災の復興チャリティーイベントも同時開催されるなど、より意義のあるイベントになりました。

 

- 伝えたいメッセージが時と海を越えて -

 ハワイにおける開教の始まりはカメハメハ王朝の時代にまで遡ります。1886(明治18)年に日布渡航条約が締結され日本からの移民が開始されました。  

 

 その後、本願寺から正式に開教使が派遣されたのは1897(明治30)年の事であり、1899(明治32)年にはハワイで最初の本堂である、ハワイ本願寺(後のホノルル別院)の本堂が落成し、寺院としての活動が本格的に開始されることとなりました。  

 

 当初、オアフ島各地での伝道活動を開始したものの、過酷な生活環境の中、その話に耳を傾ける者はごくわずかでした。耕地主が命じても動じない労働者に対し、本願寺の僧侶が働くことの責任を説き、問題が次第に解決していくことになり、これを知った耕地主が本願寺に理解を示し、こうしてハワイ各島の砂糖耕地に本願寺が建てられました。  

 

 本展の舞台となったパロロ本願寺は1920年にハワイへ到着した森天鸞師によって、モイリイリ地区に設立され、のちにワイアラエ通りへ、さらに現在のパロロ通りに移され、仏の教えを現在に伝えています。

 

 今回の「日本ハワイ友好祈念 虹の芸術祭」におきましては、素晴らしい作品が異国の地で、多くの方々の目にとまり、心に届いたことを非常に嬉しく思います。  

 

 ご来場頂いた日系三世、四世の方々にお話を伺うと、母国とは何なのか、生まれ育った土地とは何なのか、また平和とは何か、ハワイの日系移民の歴史を含め、色々な事を考えさせられました。  

 

 「元年者」と呼ばれた最初の移民の人々が荒波を乗り越え、ハワイの地に渡ってから150年。日本の心、伝えたいメッセージが時と海を越えて日系移民や、海外の方々に伝わった今回の展示は、まさに色とりどりの言葉による虹の架け橋となったことでしょう。  

 

 結びに、本展が沢山の方々にご来場頂き、お喜び頂く事ができましたのは、優れた作品を生み出された皆様のご経験、お力の賜物であり、改めまして厚く御礼申し上げます。  今後とも、更なるお力添えを賜りますことをお願いするとともに、皆様方のご発展、ご健康を心よりお祈り申し上げます。