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2026-06-23 00:00:00

金沢 / 金沢城公園 河北門

金沢 / 金沢城公園 河北門

金沢芸術祈願展 「平和のうた」PHOTO GALLERY

https://seiransha.jp/photo/album/1307026

 

国指定史跡 金沢城公園 特別名勝 兼六園 -

 

 加賀百万石の歴史をもつ石川県は北陸を代表する観光都市であり、その中でも金沢城と兼六園は、県都金沢市のシンボル的存在として一般市民にも広く開放された国の重要な文化遺産です。

 金沢城の外庭であった兼六園は、日本三名園の一つに数えられる林泉廻遊式庭園であり、加賀藩歴代藩主によって江戸時代を代表する大名庭園として長い年月をかけて作られました。作庭の際の神仙思想にもとづき、大きな池を大海に見立て、中に不老不死の仙人が住むという島を配し、茶屋や築山を点在させ、それらに立ち寄りながら全体を遊覧できる造りになっています。「ことじ灯籠」や雪吊りで有名な「唐崎の松」など、テレビや雑誌でも多く取り上げられ、春夏秋冬いつ訪れても来訪者に素晴らしい景観を見せてくれます。長寿と永劫の繁栄を投影した藩主の庭から市民の庭へ、四季折々の風情を楽しめる特別名勝として多くの人々に楽しまれています。

 兼六園と隣り合う金沢城の歴史は、加賀一向一揆で支配権を握った本願寺が、1546(天文15)年に金沢御堂を創建したことに始まります。その後、1583(天正11)年、初代藩主前田利家が能登から入城し、前田家の居城として本格的に城造りがなされました。キリシタン大名として知られる髙山右近を招き、築城の指導を仰いだと伝えられています。落雷や火災など、幾度もの焼失と再建を繰り返し、明治以降から第二次世界大戦の終戦を迎えるまでは陸軍第九師団司令部が設置され、陸軍の拠点としても使用されました。戦後から1995(平成7)年までは国立金沢大学の本部キャンパスとして利用され、現在は重要文化財の石川門や三十間長屋などを有した国指定史跡となって加賀の文化・伝統を継承する公園として整備されています。

 今回はそんな歴史と文化が交差する金沢城公園河北門の中で、能登半島地震からの一日も早い復興を願い、「金沢芸術祈願展 再生の祈り」を開催させて頂きました。

 

金沢城 河北門 つどう復興への想い -

 

 2024年元旦に発生した能登半島地震から丸2年が経つ2026年1月。厳冬の寒気が列島を覆い、北陸では例年以上の大粒の雪が降り積もる中、「金沢芸術祈願展 再生の祈り」を開催させて頂きました。

 兼六園の松の雪吊りは太陽の光で輝き、隣接した金沢城公園には一面の綿雪が降り積もり、しんとした清らかな空気と白雪の銀世界に包まれた幻想的な景色が、歴史ある展覧会場の舞台を美しく演出していました。

 本展の会場となった河北門は、金沢城三御門の一つであり、三の丸を守る金沢城の実質的な正門です。2階内部の壁や床には檜の一種である能登ヒバが用いられ、門扉、柱、梁などは古来よりの伝統工法で再建された石川の匠の技が発揮されています。その和の空間の中に、石川県の代表的工芸品である九谷焼や、手漉き和紙に生花を漉き込み、金箔で装飾した能登野集紙、アートパネルなどに文芸作品を写し、展示致しました。

 当初の天気の心配も杞憂に終わり、雪化粧の兼六園と冬の味覚を楽しみにきた観光客や、訪日外国人客、地元の方や能登地震の被災者の方など、大変多くの方にご来場頂きました。また、地元の北國新聞社にも取材して頂き、新聞記事に写真付きで掲載して頂いたり、受付に設置した義援金募金箱にもお心遣いを頂戴し、たくさんの反響を頂きました。来場者からは、「歴史ある場所で日本芸術の奥深さを感じられた」、「被災者の心にも寄り添ってくれる作品を見て元気がでました」等、嬉しいお言葉を頂戴しました。

 震災から2年の歳月が経ち、瓦礫撤去や災害公営住宅の整備などが段階的に進んでいますが、災害関連死の増加や人口流出による能登地方の少子高齢化など復興への道はまだまだです。しかし、雪中から力強く芽吹く春桜のように、歩幅は大きくなくとも着実に前に進んでいます。本展の催しがささやかな日常会話を笑顔で重ねる場となり、文化を通じての支援、交流の場となれていればと願っています。最後に、本展の成功はご協力頂いた作者の皆様の多大なるお力添えによることはいうまでもございません。皆様の益々のご発展、ご健康を願い、御礼とさせて頂きます。誠にありがとうございました。

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